私たちは、自分たちが思っている以上に多くのことをわかっています。
よく私たちの意識のことを氷山を例に例えられています。私たちが認識できる顕在意識は、氷山の中の実際に見えている部分。そして、ほとんどが私たちの意識にのぼってこない水面下にある氷山の見えない部分です。

この現象はどうして起きるのでしょうか、捉えているはずの情報をどれくらい認識できていないのでしょうか、とらえている情報をキャッチするためにはどうしたらよいのでしょうか、そのことについてまとめてみました。

左脳は右脳の考えを理解できない

私たちの脳の左と右では、別人格を持っているといわれています。そして、脳梁(のうりょう)という左脳と右脳をつないでいるところを通して、お互いに情報のやり取りをしています。

左脳は理性を司り、多くの人は左脳に言語野があります。
それに対して、右脳は感性を司っています。
緻密で詳細な情報をとらえるのには左脳が、大まかに全体像をとらえるには右脳が適しています。
しかし、普通、私たちは言語野がある左脳の声を主に聴いています。つまり、右脳が考えていることをなんとなく感じることはできても、はっきりと意識的に捉えるというのは難しいのです。

絵を見たり、音楽を聴いたりした時に「どこがどう好きなのか?って言われるとよくわからないけど、なんとなく好きだな…」って感じたり、人にあった時に「あの人、なんとなく好きじゃないかも…なんでって聞かれても困るんだけど…」って感じたりすることはないですか?

これは、右脳ではわかっているのに左脳がはっきりと意識できないためにおこっているのではないか?とされています。

私たちの周囲では、いろいろなことが絶えず起こり、私たちの脳には膨大な量の情報が入ってきています。この膨大な量の情報のうち、私たちが認識できるものというのは、ほんの一部です。残りはというと、私たちの中に入ってくるだけで何の印象も残してはいません。

左脳は自分のかすかな感情に蓋をするー感情が蓄積する理由ー

自分の中で湧きあがってきた一時的な感情の変化においてでさえも、自分自身でさえ全く気付かないということさえあるのです。これも右脳で感じていることが、左脳にまで至っていないためとされています。

もしかすると、思いもよらない時になぜかイライラしたり、理由もなく憂鬱な気分になったりするのは、そういう事が積み重なったことで起きているのかもしれません。

私たちは、言語野がある左脳で起っていることを認識しやすい傾向があります。
そのため、左脳があまり働いていない時には、右脳の状態がそのまま反映され、かすかな気分の揺れを感じやすくなります。

逆に、本を読んだり、おしゃべりをしたりと左脳が活発に働いている時には、右脳で生じた悲しみや不安などの情緒的反応は抑えられ、一時的にそれらの感情が和らぐようです。しかし、これは、「自分の感情に一時的に蓋をしたようなものだ」とも言われています。

理想をいえば、右脳で感じていることをきちんと左脳でも認識してあげることというのが重要です。
つまり、自分が感じていることを顕在的にも認識する(自覚する)ことです。
そうすることで、はじめて処理が可能になります。

左脳は常識に縛られているー分離脳症例からー

では、実際にわたしたちはどれくらい右脳のことを認識できていないのでしょうか。
それを示す実験があります。

脳梗塞や手術などによって、右脳と左脳をつなぐ脳梁が障害され、お互いに情報のやり取りができなくなった状態のことを分離脳といいます。
つまり、右脳と左脳の連絡がない分離脳では、右脳にだけ情報が入った場合には、右脳に情報がとどまり、左脳への情報伝達がありません。

分離脳の男性で行われた実験です。
この男性、たまたま左脳だけでなく、右脳にも言語能力を持っていました。
その男性に対して、「卒業したら何をしたいですか?」という質問を行います。
男性は「製図工になりたい。そのための勉強もしている」と答えたそうです。

そこで、今度は、右脳にだけ同じ質問をしてみました。どうしたかというと、左視野に入れた刺激は右脳にしか行かないことを利用したのです。
男性には「…したら何をしたいですか」と質問します。そして、左視野に「卒業」という文字を見せました。これで右脳にだけ完全な文章の質問が提示されらことになります。
そして、右脳からの情報を引き出すために右脳が支配している左手で文字ブロックを並べて答えてもらいました。

自分が並べた単語、つまり右脳が出した答えを見て、実験者も本人もとても驚いたそうです。
というのも、そこには「カー・レーサー」という文字があったそうです。

つまり、彼の右脳は、将来はカーレーサーになりたいという夢を持っていたということです。しかし、当の本人はそれに全く気づいていませんでした。だから、自分の答えを見て驚いたのです。それくらい右脳の情報をわかっていなかったということです。

おそらく左脳が導き出した答えというのは、「自分には無理」とか、「それは現実的ではない」とか、「実現できることだったらこれかな」などといった既成の概念に縛られたものだったのでしょう。こういった左脳による思考の声が強すぎて同じように自分の中にあった右脳の声を感じとることができなかったのです。

左脳は右脳のことを分かっていないー分離脳症例からー

左脳がいがに右脳のことを分かっていないかを示すもう1つの実験があります。
触覚や聴覚、視覚などほとんどの感覚情報は交差性に大脳半球に入ります。例えば、右手の感覚は左の脳にいきます。そして、その例外が嗅覚です。
つまり、左の鼻孔から花の香りをかぐとその情報は左脳に伝わります。

そこで、分離脳の人に右の鼻孔に栓をして左の鼻孔だけでにおいをかいでもらいます。
この場合は、言語野のある左脳に情報が行くため何のにおいであるかがわかり、答えることができます。

でも、逆に右の鼻孔だけでにおいをかいでもらうとそのにおいに気づかないのです。
そのため「なんのにおいもしない」と答えます。右脳に入った情報は顕在的に認識できなかったということです。

そこで、このにおいが何であるかを仕切りで見えなくしてある所の模型の中から手探りで選んでもらいます。
すると、右脳が支配する左手で行った場合は、正しいものを選ぶことができたのです。
つまりわからないと思っていただけで、右脳はしっかりわかっていたということです。ただ、その右脳がキャッチした情報が左脳にいかなかったため、においに気づくことができなかったのです。
当然、左脳が支配する右手の場合は、正しいものは選べませんでした。

私たちは自分たちが認識しているよりはるかに多くのものを感じているのかもしれません。

左手が私の邪魔をするーエイリアンハンドー

私たちの右脳と左脳は、私たちが特に意識をしなくても、お互いに密に連絡を取り合っています。そのため、右手と左手が協力し合って、洋服を着たり、料理を作ったり、車を運転したりと日々の生活を送ることができます。これは、実は右脳が左脳の指示に素直に従ってくれているため成り立っています。
なので、いったん連絡が取れなくなると右脳は勝手に行動し始めます。どうも右脳と左脳では、実は考えていることが違うようです。そのため、右脳からの指示を受けている左手が私たちの意思に反して動いてしまうのです。
勝手に動いてしまう事から、『他人の手徴候(エイリアンハンド)』という名前がついています。

例えば、服を着替える時、「じゃあ、今日はこの服を着よう」と思って、右手でその服をとろうとすると、左手が別の服をつかんで離してくれないという事がおきます。
左手は右脳が選んだであろうその服をなかなか離してくれないので、諦めて左手の言うことをきくか、誰か他の人に頼んで左手をその洋服から無理やり離してもらわないといけなくなります。
そしてなぜか右脳が選んでくる洋服、つまり左手がつかんで離さない洋服は、自分が着ようと思っていたものよりもカラフルでハデなことが多いそうです。
おそらく、今日は会議があるからといったTPOは考慮してくれず、そのときの感性に従って選んでいるのでしょう。

他にも、左手はいろいろ邪魔をしてきます。
ズボンをはこうとして右手で引っ張り上げているのに、左手はズボンを下ろそうとするかもしれません。右手が洋服のボタンをかけているのに左手がボタンをはずしていくということもあります。
洋服を着替えるだけでも一苦労ですね。

身体を動かすことでわかること

この現代社会で生活していると、感覚よりも思考優位になりがちです。私たちが頭で何かを考えている時には、頭の中でも言葉を使っています。そのため、主に言葉と関連している左の脳が働いています。そして、私たちが実際に自分で気づくことができるのは、主に左脳で起こっていることだといわれています。
そのため、思考が働き過ぎると、左脳が優位になって右脳が感じていることに気づくことが難しくなってきます。

では、そのなかなかとらえにくい右脳の情報をキャッチするためにはどうしたらいいのでしょうか。

その鍵は、身体を動かすことにあります。
実際、わからなくてもやってみるということが大切なようです。

それを示す実験があります。

左脳と右脳をつなぐ脳梁を切断され、両者の連絡が絶たれた患者さんに対して行ったものです。
目に入る左側(左視野)の情報は右脳に行き、目に入る右側(右視野)の映像の情報は左脳に行きます。
そのため、脳梁を切断された方の左視野に「ペン」という文字を提示することで右の脳にだけその情報が伝わります。

当然、言語野のある左脳には情報が行かないので、「何が見えましたか」と聞いても「何も見えません」もしくは「何か見えたけどよくわかりません」と答えます。
ところが、「見えたと思うものをわからなくてもいいのでとにかく選んでください」と言うと、ちゃんと目の前にある物品から「ペン」を選ぶことができるのです。

ここでおもしろいのが、選んだあとからだと、先ほど提示されたものが「ペン」であるとわかるのです。
つまり、本人の認識としては分からなかったものが行動することで分かったということです。

同じように左視野に「ギタリストのふりをせよ」と提示します。
当然、本人は何が提示されているのか顕在的にはわかってはいません。
そこで、「とにかく何かポーズをしてほしい」と促すとギターを弾いている真似をしてくれるそうです。

誰しも、身体を動かすことで眠っていた記憶が始めて呼び起されるという経験くらいはあるでしょう。
すっかり忘れていて頭で考えていては思い出せないような時でも、イントロを聞いたらなぜか歌えたり、ラジオ体操の曲が流れたら身体を動かせたりと。

意外と身体を使うことで初めてわかるということも多いのかもしれません。

まとめ

私たちが認識できるのは、私たちの脳がとらえている情報のほんの一部です。
思考から離れ、わからなくてもいいからやってみることで、自分の知らない自分と出会えるかもしれません。

参考)
脳の取扱説明書 P52, P266
A divided mind: observations of the conscious properties of the separated hemispheres. LeDoux JE, Wilson DH, Gazzaniga MS. Ann Neurol 2:417-421, 1977