昔の人たちは、身をもって手を洗う意味をわかっていたようです。
神社の鳥居をくぐれば手水舎があり、人々は参拝する前にお手水で手や口をすすぎます。
これには、身体を清めるという以外にも心を清めるという意味もあるのかもしれません。
実際に手を洗うことにどのような心理的な効果があるのかを調べた実験があります。
それによると、手を洗うことには自分が下した決断の葛藤を拭い去る効果があったのです。
実験1:CDを好きな順に並べる
アメリカのミシガン大学のノーバート・シュワルツ氏とリー氏が行った実験です。
ボランティアの学生40人を対象に、本当の実験目的を明かさず、消費者の意識調査という名目で行いました。
学生たちには、
「10枚の音楽CDを自分の好きな順番に並べてください。
謝礼として5位か6位のCDのいずれかをさしあげます」
と告げました。
学生たちがCDを好きな順番に並べた後、
一部の学生には、液体ハンドソープの評価との名目で手を洗ってもらいました。
そして、それ以外の学生には、液体ハンドソープのボトルを見るだけで評価してもらいました。
そして、その後でもう一度CDを好きな順番に並べてもらいました。
すると、手を洗わなかった学生は、自分が持ち帰るCDを前回よりも高いランクに置いたのです。
これは、人には、自分の下した決断(この場合は持ち帰るCDです)が正しかったと思いたいという性質があるためではないかと考えられています。
決断の良い部分を重視して、その決断を正当化してしまうのです。
この性質を『決定後不協和』といいます。
一方、手を洗った学生は10枚のCDを前回とほぼ同じ順番に並べました。
つまり、自分が行った決定に対して、正当化していないということです。
自分が下した決断に迷いがあって、決断後も葛藤しているからこそ、自分の決断を正当化したいという欲求が生まれるわけです。
しかし、手を洗うことで、決断後の葛藤がなくなったというわけです。
実験2:好きなジャムを選ぶ
同じような実験があります。
85人の被験者に2つのジャムから味見無しで好きな方を1つだけ選んでもらいます。
そして、その後で、一部の被験者には殺菌用ティッシュで手を拭いてもらいました。
すると、手を拭かなかった被験者は、自分の選んだジャムはもう一方のジャムよりおいしいと予想する傾向がありました。
一方、手を拭いた被験者はどちらのジャムも同じ程度の味だろうと予想したそうです。
要するに、手を拭いたことで自分が行った決断を正当化することが減ったのです。
手を洗うという行為には、“記憶をぬぐい去る”働きがあり、
自らが行った選択にまつわる感情やそれを正当化する必要性を取り除くのではないかと考えられるのです。
迷いをなくす脳のしくみ
迷った経験を次に生かすために脳はどのように働いているのでしょうか?
それに関連している部位が、前頭連合野の背外側部であるとされています(注1)。
前頭連合野背外側部は、迷った経験を次の答えを出すときまで記憶しているそうです。
さらに、迷った経験だけでなく、迷わなかった経験も有効に活用しているらしいのです。
実は、迷ったことを伝える神経細胞と、迷わなかったことを伝える神経細胞は、ほぼ同数あります。
それから考えるに、脳では迷った後に“心”の準備状態を高めるだけでなく、迷わず正答した後には、無駄な疲労をなくすために“心”の緊張を緩めているのではないかと推測されています。
まとめ
手を洗う効果についてまとめてみました。
感染症から身を守るという肉体への効能に意識が向きがちですが、
案外、心への作用も大きいのかもしれません。
注1)前頭連合野:前頭葉で運動皮質よりも前の部分
外側部:行動の認知・実行制御
内側部:心の理論・社会行動
腹側(眼窩)部:行動の情動・動機づけ制御
参考)
Spike W. S. Lee & Norbert Schwarz Washing away post-decisional dissonance. Science 323(7) May p709, 2010
http://www.brain.riken.go.jp/jp/asset/img/about/timeline/pdf/073.pdf